切腹と自殺〜理研 CDB副センター長 笹井先生の自殺を受けて

皆さんこんにちは。fusatonです。


今日は、衝撃的なニュースがありました。
NEWSを賑わせている小保方晴子さんのSTAP細胞論文のラストオーサー、つまり責任者である笹井先生が自殺された、というニュースです。


報道を見る限り、自殺ということは間違いなさそうです。
ご冥福をお祈りするとともに、とても残念な、そして情けない気持ちになりました。


笹井先生は、先端再生医療の第一人者であり、世界的な評価の高い人物だそうです。
若くして京大の教授になり、そのあともコンスタントにインパクトの高い発見、論文発表をしてきた、ということなのでしょう。
産業界とも連携し、単なる基礎研究にとどまらず、多面的に研究を野心的に進めてきた、本当に優秀な人物であることを報道は伝えています。


そのような、まさにエリートが、なぜこのような結末を迎えたのか。
私には、この自殺は「逃避」にしか見えません。


自分の名誉、自分のことだけを考えた結果にしか見えないのです。
昔の日本には「切腹」という、死によって責任をとる文化がありましたが、これとは全く違うと思います。


切腹は、罪であることをお上なりなんなりがさばいたうえで実施されるもので、言ってみれば死刑の位置づけなのだと思います。


現代の自殺は、「自分で死ぬ」というところだけみると切腹と似ていますが、「裁きを受けて自分で死ぬ」のと、「自分で勝手に死ぬ」という意味において全く異なるものだと思います。


現代の自殺は、自分で自分をさばいて、勝手に死んでいきます。
その行為は、私は最低の「逃げ」の手段であると思います。


さらに、いままで「挫折」をしたことがなかったからこそ、このような衝動的な逃避行動に走ってしまったのではないか、そんな風に思ってしまいます。



STAP論文は、笹井先生にとってみれば全世界的なレベルで失敗をさらしてしまったことには違いないと思います(たとえSTAP細胞があったとしても)。


ですが、逆に言えばたかが一本の論文です。ただの紙の束です。
その内容に不手際があった、それもかなり偽造・ねつ造である可能性が高かったとしても、指導監督者としての責任をとればよいだけのことであり、所属組織を辞する、マスコミから、科学界からバッシングにあう、という相当の罰があったとしても、現在の法制度では死刑には絶対にならないと思います。


つまり、現代の民主主義においては、命を失うほどのことでもないし、逆にこれだけのことで命を絶ってしまうような人間、(研究者という人種)は、「信用できない」ということになってしまうのではないかと思うのです。


インテリ、という言葉は若干古いですが、まさに笹井先生はそのインテリであったと思います。
しかし、そのインテリが「自殺した」ということは、日本に、世界にいわゆるインテリと呼ばれる人たちは粘りがない、自分によくないことが降りかかってくるようであれば、死んででも逃げる、信用できない人である、という印象を抱くのではないか、と考えてしまします。


だれも、日本には侍がいる、笹井先生は侍であった、とは言わないと思うのです。


インテリが信用を無くす、ということは世界の人々は知性に敬意を払わくなってしまうことを意味します。これはとてもまずいことだと思います。


そうした意味で、とても残念だし、根が深い問題であると思います。


最後に、残された小保方さんはぜひこのような卑怯な責任の取り方はしないでいただきたい、切にそう思い、今回は終わりとします。