技術的特異点(テクノロジーシンギュラリティ)と教育

皆さんこんにちは。fusatonです。

さて、今日は技術的特異点(テクノロジーシンギュラリティ)と教育
というテーマについてです。


まず、技術的特異点、とはなにかご存知でしょうか?聞きなれない言葉だと思います。
これが何かもわからない方(ちょっと前まで僕もそうでした)も、
ご存知の方もご一読いただければと思います。


■技術的特異点(テクノロジーシンギュラリティ)とはなにか
ちょっと前に、WIERDのセミナーのようなものに参加したときに知った言葉なのですが、
簡単に言うと、人工知能が人間の知能を超える時、のことです。
人工知能がどんどん進んで行って、人間が行う高度な知的行為が、人間以外でも実施できるようになる、
ということだそうです。


高度な知的行為とは、たとえば科学者、医者、弁護士、編集者などいわゆる専門職が担っているような職業や、
経営などのビジネス行為が含まれると思います。
そして、おそらく芸術、音楽といった文化的な分野でもこの技術的特異点がおそらくあらわれると思います。


しかもこれが、2045年頃に起こる、と予測している学者もいるそうです。
そのため、2045年問題、という呼び方もされています。
この考え方はアメリカで比較的盛んな未来学の分野で提唱されているもので、
イデアとしては昔からあるものようです。


技術的特異点、その基本的な意味をお分かりいただけましたでしょうか。
では、この技術的特異点に至ったとき、人間はどうなっているのでしょうか?
ちょっと考えてみました。


■技術的特異点を迎えた人類の暮らしは?
技術的特異点を超えたとき、社会はどのようになるのか?
まず最初に浮かんだのは、仕事はどうなるのか、ということです。
おそらく、ほぼすべての仕事はすべて機械・ロボットがこなせるようになる、ということになります。
よって、仕事の管理をする人たち、それもごく少数の人たちと、その仕事・ビジネスのオーナー以外は人間ではなくても
問題なくなってしまうのでは、と思います。


では人間は、社会はどうなってしまうのか?
楽天的なグッドシナリオとしては、
いわゆるベーシックインカムのような形で最低の生活の為の費用の保障がなされ、
人は基本的には働かなくてもよいような生活になるのではないでしょうか。
健康上の必要から、身体に負荷をかけるようなことはあると思いますが、
身体を使った仕事もほとんどなくなるのでは、と思います。
もっとも、そのためにはエネルギーや資源などの問題がクリアされることが前提だとは思います。
(これらが不足している限り、人間が何等かの形で働くことになると思います)


もう一つ、バッドなシナリオとしては、
大多数の人間の雇用が機械に奪われ、収入を得ることができず、
一部の人間はものすごく富み、ほとんどの人間は貧困を極める、という地獄絵図です。
どっちかというと、こっちの方が現実に近いかもしれません。
(貧富の拡大という意味では、現在もその傾向にあります)


グッドシナリオになるのか、バッドシナリオになるのか。
それは、今の私たちがどうしていくか、どういう未来を築きたいのか、
にかかっているのと考えます。


■技術的特異点後の教育について
上に述べた、グッドシナリオ・バッドシナリオそれぞれで、
その時代に生きる人々はどのような教育が必要になるのか、最後に少し考えてみました。


グッドシナリオの場合、働くために必要な知識の獲得は、原理的に必要がなくなります。
仕事は全て機械に任せておけばよい。その機械を管理する人たちはのこるでしょうから、
その人たちはある程度専門知識を獲得する必要はあると思いますが、それはごく一握りです。
では大半の人たちはなにも勉強しなくてよいのか?


おそらく、コミュニケーションに必要な語学や、文化的な素養などは
人が人と会話をする、ということをやめない限り今後もずーっとつづくでしょうし、
人間は会話することをやめることはないと思うので、残るのでしょう。


それ以外の、いま存在するあらゆる学問は残るでしょうが、
いまのように職業を得るために働くということはなくなるのでしょう。


ただ、法律のような学問は、人間が最終的に法律的な判断を下すでしょうから、残ると思います。
(それがいまの弁護士に求められるような内容とはことなって、もっと簡略化されたものになると思います)


ただ、職業上の必要性よりも、人間として健全に育つために、
いまのような勉強というか「学び」は残るし、発展させていかなければいけない、と思います。


バッドシナリオの場合はどうなるのか?
おそらく、生き残るためにグッドシナリオの時よりも
教育(勉強)の必要性は高まるのではと思います。


よく勉強のできる子が、社会的な重要なポジションに配置される。
機械を管理する、機械によって繰り広げられるビジネスを管理する、
ということは人間がやるでしょうから、そのポジションにつくために求められる知識、
今でいえばコンピュータサイエンスなどの理系の知識や、法律や経済学などの文系の知識の両方が求められるでしょう。


グッドシナリオでもこのようなことは起こりえますが、ベーシックインカムがあるのでそこまでの競争にはならないのでは、
と想像します。


ただ、どちらにしても機械にほとんどを任せることができるようになるので、
ほおっておくと人間はバカになってしまうと思います。


人間がバカになってしまっても、
エネルギー、資源が無限に続き、機械化された世界が永遠に続くのであればまあ、いいかとも思わなくもありません。
でもそんなことはきっとなくて、機械にほとんどを任せることができなくなったとき、人間の力で世界を回していかなければいけません。
その時、知性が衰退していれば、何もできなくなってしまうでしょう。

また第一に、バカになった人間ばかりになってしまった世界を見たくありません。
(べつにいーじゃん、今だってバカなんだし、という意見もあるかもしれないですが。個人的な感覚です)

よって、人間の鍛錬、という意味での教育は未来永劫残るべきだし、
続けていかなればいけない、と思います。


以上、終わります。