日本の文系は、世界に存在感を示せているのか?

皆さんこんにちは。fusatonです。
最近は、単発的なテーマを展開しまくりで、一貫性がなくでごめんなさい。


いずれ一つのテーマで連続5回とかで書いてみようと思っているのですが、
それはまた今度。


今日のテーマは「文系」です。


日本の文系の方々は、個人的には優秀だと思うのですが、
世界の、とくにアカデミックな場面においてはあまり存在感がないのではないか、と思っています。


じゃあほんとにそうなのか、
なぜそうなのか、を今回も独断と偏見で論じてみたいと思います。


■理系と比べて、世界に存在感のないニッポンの文系と、こんなことを言うと怒ってしまう方もいるかもしれませんので、
客観的なデータを一つ。


英紙Timesによる大学世界ランキング「The Times Higher Education Supplement(THES)」(2013-2014)における上位100位以内の日本の大学の順位


■文系分野


【人文科学】
100位以内に日本の大学なし


【社会科学】
東京大学 60位
(それ以外はランキングに日本の大学はなし)


■理系分野


【物理学】
東京大学 16位
京都大学 36位
東京工業大学 83位


生命科学
東京大学 27位
京都大学 32位
大阪大学 41位



うーん、それぞれの分野のなかで、傾向としてはやはり
日本は理系分野が強い、ということができるのではないでしょうか。


■日本の文系は「文明の配電盤」をいまだにつづけているのではないか

ではなぜ、日本の大学の、文系分野はこんなにもランキングが低いのか。
まずは、日本の大学は英語圏には無いから、ということがあるのではないでしょうか。


このランキングを作っているのは、英語圏の人たちです。
そして、単に語学の問題だけではなく、価値観のようなものが「評価する側」と「評価される側」で異なっているために、日本人の考え方がうまく伝わらず、このような結果になっているのではないでしょうか。


また、日本の特に文系の学問の始まりは、欧米の学問を「輸入」することから始まっていますが、
それをいまだにひきずっていることもまた原因の一つなのではないでしょうか。

東京大学をはじめ、明治期の大学はいわゆる「文明の配電盤」と言われ、
欧米の最先端の知を分け与える場所であり、そのことに最大の価値がありました。


ですが、そのような場所は、インターネットや、膨大なアーカイブが豊富である現在ではほとんど意味をなしません。
であるのにも関わらず、文系の大学は「文明の配電盤」を続けているのではないか?
そのような仮説を私は持っています。


つまり、欧米の学説を理解することこそが、もっとも重要である、
という姿勢というか価値観がこの21世紀になっても、明治期のまま延々と続いているのではないか、
そう思うのです。


■「文明の配電盤」から「文明の発電所」へ
ではどうすればよいのか?
個人的な持論にすぎませんが、これからは新しい考え方、世界の見方、価値判断基準を世界に示していくことが
求められているのではないでしょうか。


日本は、江戸期から詳細な歴史記録が残っている世界にもまれな国です。
過去、現在の日本人の考え方をまとめ、世界に広めていくこと、これだけで立派な仕事ですし、
世界の様々な課題解決のヒントを提示できるのはないか、そう思います。


その意味で、日本は「文明の発電所」になってほしいと思います。


その意味で、「武士道」を記した新渡戸稲造博士を超える、
世界に日本の価値観を伝えることができる学者はいないのではないでしょうか?


もっとも、新渡戸先生も理系文系の区分けをするのであれば理系の人間です。
ただ、この際理系文系はあまり関係ないのかな、とも思います。


どんなバックボーンでもいい、日本の考え方、価値観を世界に広めることが、
日本のアカデミックの、そして日本自体の存在感を示すことにつながるのではないでしょうか。



■なぜニッポンの文系が世界に存在感を示さなければいけないのか?
最後になってしまいましたが、「なぜニッポンの文系が世界に存在感をしめさなくてはいけないのか」、これについても述べたいと思います。


なぜ、存在感を示すべきなのか、その答えは「世界に貢献するため」、と同時に「日本をよい国にするため」です。


繰り返しになりますが、日本では当たり前のことを世界に示すことが、世界の為にもなり、そのことで日本も一目置かれ、日本にとってもよいことがたくさんあるのではないかと思うのです。


その意味で、私も微力ながらもそのようなことをしていきたいと考えています。


以上、終わります。