”気づく”ための方法 〜定点観察〜

 前回は、”比較”するということについて述べました。ヒトは比較によって気づくことができる、と述べました。
 今回はあるポイントについて観察を続ける、つまり"定点観察"が、気づくための有効な手段であることを述べます。

■定点観察とは
 定点観察とは、ある事柄を、時間軸にそってずっと見続けるということです。さらにこのことによって気づきを得ることができる、ということです。例えばある日、庭をふと見ると小鳥がいました。そのときは小鳥がいるということしか気がつかないとします。
 しかし、その日以降毎日見続けていると、ある時間に決まって小鳥がおとづれることがわかったり、庭のある木にだけとまることがわかったりします。
 このように、観察を続けることでいろいろなことに”気づく”ことができなます。

■定点観察の重要性
 ある分野の専門家であることの条件の1つに、その分野を観察し続ける、ということが挙げられます。基本的な知識から最新の知識や知見を知っている、ということも専門家であることの重要な条件の1つであります。
 しかし、同じものを見続けることで”気づき”を得て、それを知識として自分の中にたくわえ、世の中に発信することができる、ということができるのも専門家であることの重要な条件だと思います。

■定点観察が苦手な日本人?
 日本にはそのようなタイプの専門家や学者が少ない(特に社会科学や人文科学などのいわゆる文系)のではないか、と思います。
 理系の学問は、定点観察というか、ある対象を観察しつづけて、初めてさまざまな気づきや原理、定理、法則を引き出す、ということが当たり前になりすぎていて、そのような世界にいるヒトに定点観察の重要性を説いても、ふーん、で終わってしまうかもしれません。しかし、定点観察のような考え方は、理系、文系にかかわらず有効なものだと思います。文系の方にも”定点観察”といった考え方を意識していただきたいと思います。
 また、日ごろから感じているのですが、日本のメディアは、定点観察、という方法の重要性を理解していない、もしくは知らないのではないか、と思っています。その日その日いつもと違うことがおこったらそこに飛びつく、ということの繰り返しで、常に見続けることでなにかに”気づき”それを読者に還元する、といったようなことは一切考えていないように思います。定点観察による”気づき”を伝えることはメディア、とくに新聞のような活字メディアにとっては”付加価値”となりえるのではないか、と思います。
(半年前に起こったできごとのその後についてちゃんと報道し、そこに”気づき”を加える、ということは、一部の経済系の雑誌でおこなわれていますが、それでも一過性に過ぎないと思います。)
 日本のメディアについては言いたいことが沢山あるので、それについてはまた改めて述べたいと思います。

■”気づく”ための方法
 今回は定点観察の重要性について述べました。いままで、”気づく”ための方法として

・仮説をもつこと
・比較すること
・定点観察すること

を述べてきました。このブログは、気づくための方法をまとめ、それらを使って、社会現象をとらえ、問題に気づく、ということを訓練する場にしたいと思っているのですが、もうすこし気づくための方法にはどんなものがあるか、を考えたいと思います。