「STAP細胞」は存在するのか?騒動の「問題」はなにか?小保方さん「が」悪いのか?

みなさんこんにちは。おげんきですか?
もう桜も散り始める場所もあって、春も通り過ぎようとしているこの頃ですね(東北、北海道のみなさんは春はこれからですね!)


さて、本日の話題は「STAP細胞」についてです。


ネイチャー誌に華々しく発表された「STAP細胞」、これがいかなるものかはすでに解説多数ですので、割愛します。
みなさんご存じのとおり、論文発表後その再現性に疑いがもたれ、間もなく論文のデータの信ぴょう性にも疑問が生じてしまい、結局論文のデータは、第一著者である小保方さんが「ねつ造した」のではないか、ということになり、小保方さんと彼女が所属する理化学研究所までを巻き込んだ、一大スキャンダルの様相を呈してきています。


単なる科学の一つの発見であったところから、その発見者が若くて、”しかも”女性であったこと、かつ背後に「理化学研究所」という国の税金で運営されている権威ある組織があることから、マスコミの格好のターゲットとなっています。


報道のされ方、小保方さんの立ち振る舞い、そして理化学研究所の方々の言動について、いろいろ疑問に思うところは多々ありますが、まず科学的見地から「STAP細胞」というものを考え、そのあとに「小保方晴子」という人物、「理化学研究所」という組織について考えてみたいと思います。


■はたして「STAP細胞」は存在するのか?

まず、純粋に科学的見地から「STAP細胞」を考えたいと思います。
科学的見地、つまり科学的に考えるとはどういうことか。

以前このブログで「科学はどこまで信用できるか」という題で科学的に考える、ということについて書いたことがあります。(詳しく読みたい方はコチラ)


そこで述べたのは、「科学とは仮説である」こと、そしてその仮説には「不確かなもの」と「確からしいもの」しかない、ということです。


STAP細胞」の顛末をこの考え方に当てはめて考えると、


・最初小保方さんをはじめ何人かの研究者によって「不確かな仮説」として提案された


・それがネイチャー誌への発表によって、「確からしい仮説」に一時的に昇格した。


・しかしその後の検証によって、「不確かな仮説」に戻った


この3つのことが起こった。それだけのことです。
「それだけのこと」というと、違和感を持たれるかたもいるかもしれません。しかし、事実だけをとらえると、たったこれだけです。
そして、STAP細胞は存在するのか、という問いに対しては、
「存在するかどうかわからない」、もっと言えば「STAP細胞という仮説は立証されていない状態にある」、というだけのことです。


さらに言えば、「ない」こと証明することは、「ある」ことを証明するより難しく、STAP細胞は存在しないと「科学的に」言うことは難しいと思います(ヘンな例ですがUFOが存在しないことを証明するのが難しいのと似ています)


あらゆる科学は、仮説から始まり、実証を経て、確からしい仮説に昇格します。そして、どんなにそれが確からしくても、ある観測結果によって一瞬でまた不確かな仮説に戻ってしまうのです。



■小保方さんは謝罪をする必要があったのか?

ノーベル賞をもらった学説であっても、その受賞内容が後から誤りである(不確かな仮説に戻る)ことが明らかになることは実際に起こっていますし(ヨハネス・フィビゲルの癌の寄生虫原因説)、ノーベル賞に限らずこのようなことは科学の本質的な性質上、あり得ることであり、むしろ一度確からしい仮説から、ただの仮説に戻ってしまうというようなプロセスを繰り返すことで、科学は進歩してきました。


なので、このような考え方からすれば、4/9に小保方さんがマスコミの前で泣きながら謝罪と主張をするような事態になるのは、異常なことだと感じます。


彼女は、ネイチャーという科学雑誌(誤解を恐れずいえば、世界最高レベルの科学同人誌)に研究結果を発表しただけのことであり、もしその内容に不備(ねつ造含む)があれば、学会からの批判にさらされるのであって、いわゆる「世間」とは直接は関係してはいけないと思います。



あのような会見をしないといけない状態になってしまった大きな原因は「マスコミ」にあると思います。なぜなら、今回のように大々的に報道しなければ、今回の騒動はなかったと思うのです。


繰り返しになりますが、科学とは「仮説」です。
科学者が社会的な賞賛をあびるのは、その仮説が確かであるかもしれないことを論文として雑誌に投稿したときではなく、実際にその仮説に基づいて人類が利益を得たときまで待たないといけない、とおもうのです。


マスコミのみなさんには、科学がどんなものであるのか、しっかりと理解していただいたうえで、報道していただきたいと思います。
(いつまでも「てぇーへんだ、てぇーへんだ」と、江戸時代の瓦版の状態ではいけないとおもうのです(なんのことかわからないのであれば、それはそれで結構です))


そして、科学者のみなさんも、賞賛を得るのは、自分が死んだあとぐらいである、と肝に銘じるべきだと思います


■なにが「問題」なのか?


ともかく、世の中の「空気」的には、小保方さんは記者会見を開いて謝罪しなくてはいけない状態になってしまいました。


私が考えるに、今回の騒動のなにが問題であるかといえば、それは簡単に言えば「世の中に混乱を招いたこと」だと思っています。


生命科学の、さらに再生医療に関連する分野は日本に限らず、世界においても一般の人々の注目を大きく集めるものであり、その内容は科学者のみならず、一般の人たちから大きな関心を集めます。そしてその一般の人他たちは、「科学者」は「信用できる」ので、その発表内容が間違っているとは「ふつう」は考えません。
そこに、再現性のなさ、論文ねつ造疑惑が起こり、「一般の人たち」に、「科学者は信用できるのか?」、「結局STAP細胞は存在するのか?」、といった様々な疑念を抱かせてしまい「社会に混乱を引き起こしたこと」が、今回の騒動の最大の問題である、といえるのではないでしょうか。


別の言い方をすれば、本質的には「STAP細胞」が存在するかしないか、そのこと自体は問題ではないと考えます。


ただ、報道や小保方さん本人の言葉からもわかるように、実験のやりかた、論文の書き方等、科学者としての能力は、残念ながらまだ未熟でありますが、このこと自体は、「社会に混乱を招いた」という「問題」を引き起こした「原因」である、と思います。


しかし、原因は一つではないと考えています。
もう一つの大きな原因として、「小保方さんの能力の未熟さをチェックして、補完する、もしくは育成する責任者、もしくは組織的な仕組みが機能していなかったこと」があげられると思います。なぜならばこれが機能していれば、今回のような社会を混乱させるような事態は「阻止できた」と容易に考えられるからです。


そして、その役割を担っている人たちは論文のラストオーサーと、理化学研究所という組織上で、小保方さんの上司にあたる人たちです。
確かに、ファーストオーサー(第一著者、今回は小保方さん)が、その論文の責任者ではありますが、組織の話をすれば、小保方さんは係長ぐらいの立場で、言ってみれば現場のリーダーです。
そのリーダーが過ちを起こしてしまったとき、課長、部長、社長にはほとんど責任がない、というようなことを理化学研究所は言っています。


一般的に考えて、これは「オカシイ」と私は思います。
現場リーダーにだけ責任を押し付けるような組織、そこで働きたいとも思いませんし、ある意味異常だと思います。
マスコミはもっと理研という組織にも光をあてるべきだと思います。

小保方さんという「個人」を「悪者」にすれば話は分かりやすいし、注目も集めやすいですが、それは今回の騒動の問題の原因の一部に光を当てすぎていますし、「小保方さん」という個人をただいじめているにしか過ぎないと思います。


そして繰り返しになりますが、もう一つの原因は「マスコミ」です。
なぜなら、今回のように大々的に報道しなければ、社会に混乱を引き起こすことはなかったからです。


■小保方さんはこれからどうなるのか?


今回の騒動の行く末はどうなるのでしょうか。
それを予想するのはとてもむずかしいので、私が望むエンディングを書きたいと思います。

ます、小保方さん。彼女には研究を続けて、ぜひSTAP細胞の存在を証明してほしい。一生をかけてでも、やるべき仕事だと思います。それはSTAP細胞というアイデアそのものが素晴らしい、本当だったらすごい、ということもありますが、なによりも涙をながして、謝罪しながらも存在を主張したのだから、命が尽きるまでにみつからなかったとしても、最後まであきらめないでほしい。それはとてもつらくて、残酷なことかもしれませんが、ここまで来たら、それを目指してもよいのではないかと思います。
スティーブ・ジョブズも「Stay hungry,Stay foolish」と言っています。
日本の理系人として、突き抜けてほしい。


また、これも指摘されていることですが、彼女が最も優れているのは、「STAP細胞」という誰もが本当に存在するとは思わないものを、存在すると信じて研究を進めてきたことです。
これは、優秀な研究者の重要な素質の一つです。未熟であるということは、熟することができるということです。ぜひ頑張ってください。


もうひとつは理化学研究所です。
今回の騒動の原因の一つは、理化学研究所という組織が「ヤバイ」ことにあると思います。実際どのようになっているのか、外からは見えにくいですが、旧日本陸軍のような失敗にならないよう、今からでも遅くはないとおもうので、真摯に組織を見直して、改革していくことが必要なのではないかと思います。


以上、書き散らかしましたが、終わります。