ロボットとソフトウェアの進歩は世界をどのように変えるか?〜未来は「権利を持っている人」と「人間にしかできないことができる人」の価値が上がる〜

こんにちは。fusatonです。
今日のお題は、「未来予想図」です。(hatenaダイアリーとは関係ありません)


いまの社会が進んで、50年ぐらいたった時、
この世界が(存続しているとして)どんな世界になっているか、
ちょと考えてみました。


■コンピュータもしくはロボットができることは価値が著しく下がる


「あなたの仕事は大丈夫か?ロボットに置き換わる仕事リストの衝撃!」という記事にあるように、オックスフォード大学のある研究グループは、今ある仕事の50%弱がロボットに置き換わっていく、という予測をしているようです。
私の直観では、もっと沢山の仕事が置き換わっていくのでは、と思います。


ではどんな職業が置き換わっていくのか。


まずはルーチンな仕事から置き換わっていくのだと思います。
やることが決まっていて、手順にすることができ、その手順どおりにやればだれでもできる仕事。


また、ルーチンの仕事でも置き換わりにくいものと、置き換わりやすいものがあると思います。


置き換わりにくいのは、「コミュニケーション」を必要とするものです。たとえば営業や接客など、対人の仕事です。
置き換わりやすいものはその逆で、対人ではないものです。
これらはすでにコンピュータに置き換わっていっていると思います。


また、置き換わりにくいとした対人の仕事も、自然言語処理やロボティクスの技術が進めばいずれ置き換わっていくでしょう。
デパートにやってきた生身の人間が、コンピュータ、ロボットの店員を「人」と認識したとき、もうデパートに生身の人間を置いておく必要はないかもしれません(コストの問題はのこるでしょうが)。


最近チューリングテストを合格した人工知能のNEWSが出ていました。


チューリングテストに「13歳」の人工知能が合格


チューリングテストがなにかわからない方はコチラから確認してください。


もっとも本当に合格したのか、という意見もあるようですが。
ただ、そんなこと遠い将来のことだ、と考えている人がいれば、考え直した方がよいかもしれません。


■ルーチンではない仕事は置き換わりにくいのか?


ではルーチンではない仕事は置き換わらないのか。


ルーチンでなくても、コンピュータによって置き換えることのできるものであればどんどん置き換えられていくと思います。
例えば企業の中間管理職がになっているような現場の問題認識、改善などです。
ですが、これらもいずれ体系化、分析がなされ、ロボット、ソフトウェアに置き換えられていくような気がします。
(ちょっと時間はかかると思いますが)


そのとき、人間はなにをしているのか。


おそらく意思決定のみが人間に残された最後の仕事です。
どうしたいのか。どうあるべきなのか。
いまでもこのようなことは大事ですが、これからは人間のする仕事の大部分がそのようになると思います。
(もうすでにそのようになってきていると思います)


■人間にしかできないことの価値が相対的に上がる


最終的に残る仕事の一つに、「人を感動させる仕事」があると思います。それも、直接的に感動させるものです。
例えば俳優や、芸人、芸術家、漫画家、映画監督などです。


これらは技術的にロボットで置き換えられていく可能性も十分にありますが(漫才ができるロボが開発されたり、ボーカロイドなど、すでに一部置き換えが始まっています)、最終的には人でないと感動できない、という理由で残るような気がします。


もう一つは職人の世界です。
人を感動させる職人というのもあると思いますが、
ここで言いたいのは、たとえば金属の精密な加工技術や、外科医にもとめられるような繊細な手技も置き換えられにくいものであると思います。


ですがこの職人の世界も、「人を感動させる」仕事に比べると置き換えられやすいのではないでしょうか。(高度な人工知能アルゴリズムと、精度の高いロボティクス技術があれば可能である気がします)


最後は「倫理的に人間がしたほうがよい」仕事です。
例えば教師などがこれに該当するのではと思います。
(ロボット、ソフトウェアに教育させたほうがよい結果が得られるとしても、教師は残り続ける気がします)


■「権利」を持つ人間が幅を利かせる


ちょっと見方を変えて、人間にしかできないことができる人間以外にも、将来有利な人たちがいます。
それは何等かの権利を持っている人たちです。


人間としての能力とは全く関係なく、何等かの権利を持っていれば、将来は暗くないと思います。
どんなにテクノロジーが進んだとしても、自分の能力が環境に適用できなかったとしても、
強力な「権力」は永続的な優位性をその所有者にもたらすことは容易に想像がつきます。


■人は何のために生きるのか、なぜ働くのか、どう社会はあるべきかを本気で考えなければいけない。


人間にしかできないことが人並み外れてできる人間(英語でいえばgiftedの人たち)、何等かの既得権益を持っている人間のみが栄え、
その他多数の(私も含めた)フツーの人間は、ただ搾取されて、消費するだけの存在、そのようなものが私の考える未来です。
(すでにそうじゃないか!というご指摘もあるかと思います。そのとおりだと思います。いまの技術の進歩はそれを助長する方向にあると思います)

そんな未来は楽しくもなんともない!!
と私は思います。

ですが、ただ反対するだけであれば現代のラッダイト運動です。
そうはなりたくありません。
テクノロジーの良い面だって沢山あると思うのです。


凡人であっても、努力の余地が残されていて、
生まれてきてよかったと、生きていて充実感を感じられる、
テクノロジーがどれだけ進んで、世の中がどれだけ合理化したとしても、
人間が人間らしく生き続けることのできる、輝ける未来を手に入れるためにはどうすればよいのか、
私は考えて行きたいと思います。