あなたには何が見えていますか〜ユクスキュルの環世界から考える〜
皆さんこんにちは。fusatonです。
今日は、動物学者ヤーコプ・ヨハン・バロン・フォン・ユクスキュルの代表的な著作である「生物から見た世界」に着想を得て、日常生活に生かせる考え方を話したいと思います。
■「生物から見た世界」とは
「生物から見た世界」には、本の主題をうまく表現している「蚤」の話があります。それはこんな話です。
蚤は動物の血液を糧に生きている動物である。その蚤には、明るさを感じる原始的な目と、エサとしている動物の放つ乳酸のにおいを感じる原始的な鼻のような器官しかない。
だが、たったそれだけで蚤は生き続けることができる。
明るい方によろよろと歩いていくと、樹木にのぼりはじめ、もっと明るいところを目指すと、今度は枝の先に至る。
そこで行く先がないのでじっとまっていると、今度は乳酸のにおいがする。そのときに手足を枝から話せば、動物の身体の上に落ちることができ、エサにありつけることができる。失敗すれば最初からやり直し。
ここでは蚤を例として、動物は「生きるために必要な行動」、もっと言えば「自分の利益になる行動」のために必要な情報しか感知しない、ということを言っています。
そして、それは同じ動物である人間にも当てはまるのである、というのがユクスキュルの言いたいことなのだと思います。
この、「自分の利益になる行動のために必要な情報」によって構築される世界を「環世界」(Umwelt)と名付けています。
■あなたの「環世界」はなにか
さて、人間の世界における「環世界」とはなにか。
もちろん人間には立派な目も鼻もついていますし、味覚だって、触覚だって、聴覚だってあります。なので、さすがに蚤よりは話は複雑そうです。
僕は、人間の世界で「環世界」のことを考えるには、各人の職業から考えるとわかりやすいのでは、と思います。
先ほども述べたように「自分の利益になる行動のために必要な情報」は、人間の世界では仕事の上で有利になる情報のことで、人間はそのような情報を優先的に処理するようになっている、と考えています。
例えばあなたがデイトレーダーでしたら、
株式市場の株価にはとても敏感になるでしょうが、
そうではない私にとっては単なる数字にすぎません(ちょっといいすぎましたか)
逆に私が昆虫収集家だったら、そのあたりに歩いている虫にとても敏感になるでしょうか、そうではない人には目にもとまらないでしょう。
日常生活で考えてみても数え上げればきりがないほどの例があると思います。
と、こんな風に、同じ人間で、同じように、視覚に、聴覚に、そのほかの器官に同じように信号が入力されていても、その人がどんなことを生業としているか、どんなことをしているか、によって、なにが「見えているか」、「感じているか」はさまざまです。まさに、人それぞれが異なる「環世界」を持っている、と言えるのだと思います。
さて、あなたの「環世界」はどんな世界でしょうか。
あなたはどんな仕事をしていて、その仕事ではどんな情報がメリットがあるのか。
それ考えることは、自分を見つめなおすことでもあり、自分の「環世界」を発見することでもあります。
ぜひ、蚤の気持ちになって、自分に利益をもたらしてくれる情報について考えてみてください。
■相手の「環世界」はなにかを考えると、その人の理解が深まる
ではこの環世界という考え方を知っていると、どんないいことがあるか。
一つは相手の気持ちや、ある情報があったとき、相手がどんな風に感じるのか、相手にとってメリットがあることなのか、といったことを想像しやすくなるのでは、と思います。
そのことで、コミュニケーションのやり方も変わっていくでしょうし、
へんな言い方ですが、相手を説得するようなこともやりやすくなるかもしれない。
相手の環世界の見抜くことができれば、良いコミュニケーションがとれると思うのです。相手が仕事で利益をあげるためにはどんな情報に価値を見出すのか。相手が好きなことでいい思いをするためにはどんな情報に価値を見出すのか。相手の環世界がを知ることできれば、これからどんな環境でも生きていくことができるのでは、と思います。
以上、終わります。