科学者はどこまで信用できるのか



Covering the G8 & the MEF / UK in Italy


今日は、昨日に引き続き、科学と社会の関係です。
今回のテーマは「科学者はどこまで信用できるのか」です。
※1/30に少し改変しました
※ちなみに関連する内容として「科学はどこまで信用できるのか」という文章もあります。こちらは、「科学」という学問そのものの信頼についての考察です。興味があればお読みください。


■自分の発言に責任を求められない科学者
少し言いすぎの感もあるかもしれないですが、科学者の発言には、基本的には責任は発生しません。

なぜならば、科学とはどこまでいっても「仮説」だからです。
科学は「〜かもしれない」から始まり、実証を経て、その仮説を検証していく、という行為の連続です。


なので、科学はどこまで行っても仮説です。検証済みの結果は、確度の高い仮説であり、検証前の結果は確度の低い仮説です。


ですので、科学者の科学的知見とは、程度の差があるにせよ、どこまで行っても仮説である、と考えてよいでしょう。


つまり、間違っていてもかまわない、というのが科学の世界のルールです。(もちろん、誰もが納得できる前提、方法論にのっとっているのであれば、が大前提でありますが)


社会側もそのようなことを知ってか知らずか、科学者がいったことが間違っていたからといって、咎めることは「いままで」は特になかったように思います。


このような状況であるので、おおげさに言えば、科学者の発言は間違っていても基本OK、社会もいままではそれほど気にしていなかった、といえるのではないでしょうか。


■医師との比較からわかる、「責任フリー」の科学者
科学的な知見を元に、意思決定を下す、ということを職業としている人に、医師がいます。


彼らが、いわゆる科学者と大きく異なるのは、自分の下した判断に責任を持たなければいけない、ということです。


判断が間違っていれば、最悪患者が死んでしまう。いつも間違っている医者は、医者としては失格でしょう。医師は、おのずと自分の判断には責任が付きまといます。


それに比べて、科学者は、自分の発言が、個人の命や、社会の運命を決める、という場面に遭遇することはあまりなかったのではないでしょうか。


つまり、科学者の発言は基本的には「無責任」であるといえるのではないでしょうか。(責任を負う必要がない、といってもいいかもしれません)


もちろん、メーカーのなど技術者であれば、自分の作ったものに責任をもつ必要はありますが、それは意思決定とはまた違う話です。


■科学者の信用が問われている。
今日のニュースに、アメリカ人の科学者への信用が下がっている、というものがありました。
(http://www.cnn.co.jp/science/CNN201001280014.htmlを参照)


これは、気候変動が現実におこっていると感じているか、という質問に関連して、科学者の予言どおりにはなっていない、と感じている人が多い、ということのようです。


この調査を行った担当者は、不況によって人々が気候変動をよく観察していないこと、データの捏造問題が原因だとしています。

私は、科学者の発言は(意図的であろうとなかろうと)基本的には"仮説"であるはずで、そのまま鵜呑みにしてはいけないはずですが、一般の人たちはそれを真実として受け入れてしまった、というすれ違いがこのような結果を生んでいるのでは、と考えています。


科学者の信用が下がってしまう、というのはまずいことだとおもいます。
今後、市民が科学者の言うことに耳を傾けなくなってしまう可能性が大きくなるからです。


科学者は、こうしたことも考慮に入れて、慎重に発言しなくてはいけない時代なのではないのでしょうか。



■社会の意思決定に科学者として発言するのであれば、常に責任をもって発言しなければならない。


科学者の「言葉」には仮説がふんだんに含まれています。
いくらデータを積み重ねても、仮説であることを脱却することは難しい例がたくさんあります。


つまり、そのときは正しいと思ったことでも、後から間違いでした、ということは普通にありえます。(そのようなプロセスで科学は進歩してきました)


特に現在では環境問題などで、科学者の立場から、社会の意思決定に対して発言するような場面が多いと思います。
環境問題は、国家の戦略となる根幹の問題であり、科学者の発言によって国の命運が決まることだってあるかもしれません。


つまり、研究の延長線上で、仮説をべらべらと話してしまい、それにしたがってもし社会が動いたあとに、その仮説が間違いでした、というのは許されません。


意思決定に参加するには、覚悟、緊張感を持って、科学者は言葉を選び、意思決定に参加しないといけないのではないでしょうか。



■次回の話題
科学者は責任をもって、意思決定へ参加することは可能なのか?
科学者は萎縮せずに、確からしい見込みを提示することは可能なのか?
科学の知見をうまく意思決定のインプットとするためにはどうすればよいのか?
といったことを考えたいと思います。


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