科学はどこまで信用できるのか

先日「科学者はどこまで信用できるのか」という題で文章をかきました。ここではあえて「科学者」としました。なぜなら、「科学」という学問体系そのものではなく、「科学者」という人間がどのような人種なのか、ということにフォーカスしたかったからです。


先週から続けている科学と意思決定について考えてきていますが、そもそも科学ってどういう学問なのか、を抑えておきたいと思い、今回は「科学はどこまで信用できるのか」というテーマで書きます。


■科学とは「仮説」から始まる。
いきなりですが、「科学とは、仮説から始まる」というのが、科学の大きな特徴であると思います。


ちなみに「仮説」とは
ある現象を理論的に統一して説明するために立てられた経験科学上の仮定。その真偽の検証は、仮説から必然的に演繹(えんえき)された諸命題を実験や観察によるテストで確かめることによってなされる。検証された仮説は法則や理論として公認される。
大辞林より引用


ということです。
つまり「仮説」とは覆る可能性のある不確実なもの、ということです。


科学とは、覆るかもしれない仮の考えを元に、それを事実によって検証し、法則や理論を導き出す行為である、といえます。


なので、科学で扱っているものには「仮説」と「証明された仮説=法則、理論」の2つがあるということになります。


前者は覆る可能性のあるもので、後者はほぼ正しい信用度の高いものです。


■「法則」や「理論」とは、確度の高い「仮説」である
「法則」や「理論」はほぼ正しい、といいましたが、どこまで信用できるのでしょうか。絶対に信用できるものなのでしょうか。


私は、「法則」や「理論」とは限りなく確度の高い「仮説」であると思っています。


世の中の「法則」や「理論」というものは再現性を満たしています。つまり、事実を一致します。物理や化学などのベーシックな基礎科学の各種の法則は、99.99・・・・%の精度で確かなものです。


ただし、理論にも、ある現象は説明できないなどの不備があり、もっと正確な法則が出てきたりして、塗り替えられるものもあります。このような発展途上の理論は「仮説」の粋をでません。


また、現時点で普遍的な法則、理論とされているものでも、新しい観測事実が出現し、これを説明することができなければ、瞬時にその普遍性は下がってしまいます。


なので、本質的に、どのような理論、法則でも「仮説」の域を脱せません。


すべての観測事実を説明し続けられていれば、その仮説は「法則」や「理論」の地位を守っていられますが、一つでも例外が発生すれば、すぐにそのほかの「仮説」と同じ地位に落ちてしまいます。


■科学には、どうやら確からしい仮説と、まだ検証されていない仮説の2つしかない。
以上をまとめると、科学には未検証の仮説と、検証されている仮説の2種類がある、といえるのではないでしょうか。


どちらも仮説ですので、覆る可能性があるわけです。
ということは、科学は信用できないのでしょうか?


■科学はどこまで信用できるのか
問題は、後者の「検証されている仮説」です。
この検証がどこまで信用できるものなのか、によって信用度が決まると思います。


科学に特徴的な言葉として、「再現性」という言葉があります。
検証には「再現性」が求められます。


つまり、誰がやっても、同じ状況下であれば検証の結果が同じにあるということです。


現在の科学は、この「再現性」が確立されていないと、法則や理論として認めてもらえません。そしてその再現性を確認という行為は、ある科学者が発表をすると、たくさんの科学者が追試をして、確認します。


つまり、たくさんの科学者によって検証された法則、理論はかなりの信頼度があると思います。


というわけで、検証された仮説は、覆される可能性はほぼゼロに等しい仮説、ということになるでしょうか。


■「検証前の仮説」と「検証後の仮説」でその確からしさは違っている。


科学の結論は「検証前の仮説」と「検証後の仮説」の2つに分けてみることができると思います。


そして、これらの大きな違いは、その信用度です。
前者は、検証されていないので、信用度は低い、といわざるを得ません。(いくら科学者が正しいと主張していても)

これらを見極めることは、その科学の結論を利用する上で、とても大切なことです。


検証されているのか、いないのかは科学者でなくとも見分けることができます。その主張をしている他の科学者に、彼が言っていることは、検証されているのかを聞いてみればよいのです。


このことは、科学を意思決定へのインプットとするうえで、とても大事な観点だと思います。


■未来予測はどこまで信用できるのか
少し見方を変えて、科学の一つの効用である未来を予測する、ということについて、科学はどこまで信用できるのか、ということについて考えたいと思います。


科学の法則や理論の大きな効用の1つは、未来を予測することができる、ということです。
ですが、現在の科学の法則や理論では、単純な系の予想しかできません。


ロケットなどの1つや複数の物体の運動の将来像を計算することは容易です。
これらを予測するモデルは確立しており、検証済みのものですので、信用できる「検証済みの仮説」です。


しかし、関与する物体が無数になり、かつ一つ一つの出力が他の物体のインプットとなるような系では、複雑すぎて先を計算することは難しくなります。
こうした場合では、既存の法則を元に、その系に合うようなモデルをこしらえて、計算を行います。


このその系にあうようなモデル、というのが曲者です。既存の法則から成り立っているものの、その系を説明する、という意味では「仮説」のモデルです。そして、まだおきていない未来を予測するための仮説である以上、「未検証の仮説」です。


つまり、このような系の未来予測は、すべて「未検証の仮説」です。
なので、ひっくり返る可能性があり、信用度は低いといわざるを得ないものです。


また、上記のような複雑な系を扱うモデルは、いわゆる「カオス」が発生します。これの1つの特性として、わずかな初期値や係数の違いで、導かれる結果がまったくことなったものになります。


つまり、このような系のモデルは未検証の仮説であり、その特性から、ひっくり返る可能性が大きいものです。なので複雑な系の予測は、おみくじやさいころとほとんど変わらないレベルなのではないか、と考えています。


地球温暖化にまつわる予測は「未検証」の仮説である。
昨今話題になっている、地球温暖化問題。科学者がコンピューターシミュレーションを駆使して、将来の地球環境のシミュレーションを行っています。


ですが、これらのシミュレーションは上記の「複雑な系の予測」に分類されます。
つまり「未検証の仮説」に基づいている以上、ひっくり返る可能性はある。またそのモデルの特性から考えてもひっくりかえる可能性は大きいといえます。


また、モデルは、既存のわかっているパラメーターからしか組み立てることはできません。
もし、新しい科学的な発見があった場合には、仮説そのものを組み替えるところからやり直しです。


最近、オゾンホールは温暖化を防止する、というような観測結果が発表されました。
このように新しい知見は次々と生まれるものです。ですので、仮説はつねにひっくり返る可能性にさらされています。


温暖化の予測については、このような理由から、この分野の信用度は、他の分野に比べて低いといわざるを得ないと思います。

このことは、科学の予測を意思決定に入れて考える際に、とても重要な視点だと思います。


■まとめ
以上、簡単に科学はどこまで信用できるのか、ということを考えました。

その結果
・検証済みの仮説は信用できる
・未検証の仮説はひっくり返る可能性がある
・未検証の仮説に基づいた将来の予測は、やはりひっくりかえる可能性がある。

ということがいえたと思います。
次回以降も社会と科学について考えて生きますが、このことを念頭において議論を進めたいと思います。