不確実な情報を元に、どのように意思決定すればよいのか(1)
前回に引き続き、科学と社会についての考察です。
今回から2回にわたって、科学の、特に未検証の仮説をもとに合理的な意思決定をすることは可能なのかを考えたいと思います。
科学の知見には、未検証の仮説である場合と、ある程度確度の高い検証済みの仮説があることを昨日お話しました。本質的には仮説なので、どちらも覆る可能性のあるものです。
ここでは、前者を意思決定に適用しなくてはいけない場合の正しい意思決定とはなにか、ということについて考えてみました。
(確度が高い場合には、あまり悩ましい事態はないとおもいますので、ここでは考えません)
■覆るかも知れない「仮説」をもとにした「正しい」意思決定とはなにか
天気予報を例に、不確実なものをもとに、「正しい」意思決定をするとはどういうことか、について考えたいと思います。
ちなみに、ここでの「正しい」とは、意思決定をした主体が損をしない判断、ということにします。
■天気予報を例に考える
明日の降水確率が50%とします。明日雨は降るかもしれないし、降らないかもしれない。「明日雨が降る」という仮説としましょう。(覆る可能性が50%としてください)
意思決定の主体は自分です。自分が雨から受ける不利益は「濡れる」ことです。そして「濡れる」という不利益を回避するための策として、「傘」を持つ、ということが考えられます。
そして、この場合の意思決定は「傘を持っていくか、持って行かないか」です。
50%の確率で雨がふるかもしれない、といわれた時に、傘を持っていくのか、持って行かないのかは各個人によって判断が分かれるところだと思います。
しかし、傘を持っていかなければ、50%の確率で濡れることになります。傘を持っていれば、雨が降ろうと降らなくても濡れないことになります。
なので、傘を持っていく、というのが「正しい」意思決定であるといえます。
と、考えると、実は濡れないためには降水確率(=仮説)は関係ないことになります。雨が明日降る、振らないにかかわらず、傘をずっと持っていればよい。
では天気予報(=仮説)は意味がないのでしょうか?
■トレードオフ、という考え方
傘とは基本的には嵩張るものです。できれば持って歩きたくない。なので、おそらく皆さんが実際に意思決定する際には、「傘を持って歩くのはわずらわしいが、雨に濡れないようにする」か、「身軽に動けるが、雨に濡れるかもしれない」かのどちらかを選択しているのだと思います。
このような選択は、「トレードオフ」と呼ばれるものです。トレードオフとは、何かを得る代わりに、何かを犠牲にする、ということです。
そして、このどちらを選択するのかは、各人に依存します。雨に濡れるのがそれほどいやではない人は、降水確率が高くても「雨に濡れるかもしれないが、身軽に動ける」を選択するでしょうし、その逆の場合もあるでしょう。
何を得て何を犠牲にするかは、人によって異なります。
ですが、どの降水確率で傘を持っていくかという判断ポイントは違っているとしても、その「判断形式」は一緒です。
つまり、不確実性を元に、失うものと得るものを秤にかけ、意思決定を行っているという形式です。
この考え方の一番のポイントは、「全部を得ることはできない」という前提に立っていることです。
これは、どのような意思決定においても、このような状況に陥ることは多々あると思います。
ただし、最初から両方得ることはできない、と決め付けるのは危険です。
上記の例で、もし傘が嵩張るものではない場合には、常に傘を持って歩くのが正しい選択です。
最初からトレードオフとは決め付けずに、どうしても両立しそうになければ、そこでトレードオフを考える、というのが正しい考え方だと思っています。
■不確実さを基にした正しい意思決定とはなにか
ポイントはトレードオフだと思います。
何かを得るかわりに、何かを犠牲にする、そのパターンを洗い出し、仮説の不確実さ(もしくは確実さ)を元に、自分がどちらを許容できるのかを判断する、ということが、正しい意思決定の仕方なのだと思います。
もちろん、トレードオフの必要がない場合には、不確実性は加味する必要がない、ということになります。
■次回は
今回は意思決定の主体が個人である場合について、考察を行いました。次回は、意思決定を行う主体が国民などの集団の場合について、考えてみたいと思います。(おんなじインプットでも、人によって傘を持っていくひとと、もって行かない人がいる場合に、どうすればよいのか、ということです)
また、今注目を集めている、二酸化炭素25%削減という「意思決定」において、どのように科学的知見を用いて意思決定されているのか、不確実な要素があるとすれば、それはどのように扱われているのか、入手できる情報をもとに、推測してみたいと思います。