ロボットとソフトウェアの進歩は世界をどのように変えるか?〜未来は「権利を持っている人」と「人間にしかできないことができる人」の価値が上がる〜

こんにちは。fusatonです。
今日のお題は、「未来予想図」です。(hatenaダイアリーとは関係ありません)


いまの社会が進んで、50年ぐらいたった時、
この世界が(存続しているとして)どんな世界になっているか、
ちょと考えてみました。


■コンピュータもしくはロボットができることは価値が著しく下がる


「あなたの仕事は大丈夫か?ロボットに置き換わる仕事リストの衝撃!」という記事にあるように、オックスフォード大学のある研究グループは、今ある仕事の50%弱がロボットに置き換わっていく、という予測をしているようです。
私の直観では、もっと沢山の仕事が置き換わっていくのでは、と思います。


ではどんな職業が置き換わっていくのか。


まずはルーチンな仕事から置き換わっていくのだと思います。
やることが決まっていて、手順にすることができ、その手順どおりにやればだれでもできる仕事。


また、ルーチンの仕事でも置き換わりにくいものと、置き換わりやすいものがあると思います。


置き換わりにくいのは、「コミュニケーション」を必要とするものです。たとえば営業や接客など、対人の仕事です。
置き換わりやすいものはその逆で、対人ではないものです。
これらはすでにコンピュータに置き換わっていっていると思います。


また、置き換わりにくいとした対人の仕事も、自然言語処理やロボティクスの技術が進めばいずれ置き換わっていくでしょう。
デパートにやってきた生身の人間が、コンピュータ、ロボットの店員を「人」と認識したとき、もうデパートに生身の人間を置いておく必要はないかもしれません(コストの問題はのこるでしょうが)。


最近チューリングテストを合格した人工知能のNEWSが出ていました。


チューリングテストに「13歳」の人工知能が合格


チューリングテストがなにかわからない方はコチラから確認してください。


もっとも本当に合格したのか、という意見もあるようですが。
ただ、そんなこと遠い将来のことだ、と考えている人がいれば、考え直した方がよいかもしれません。


■ルーチンではない仕事は置き換わりにくいのか?


ではルーチンではない仕事は置き換わらないのか。


ルーチンでなくても、コンピュータによって置き換えることのできるものであればどんどん置き換えられていくと思います。
例えば企業の中間管理職がになっているような現場の問題認識、改善などです。
ですが、これらもいずれ体系化、分析がなされ、ロボット、ソフトウェアに置き換えられていくような気がします。
(ちょっと時間はかかると思いますが)


そのとき、人間はなにをしているのか。


おそらく意思決定のみが人間に残された最後の仕事です。
どうしたいのか。どうあるべきなのか。
いまでもこのようなことは大事ですが、これからは人間のする仕事の大部分がそのようになると思います。
(もうすでにそのようになってきていると思います)


■人間にしかできないことの価値が相対的に上がる


最終的に残る仕事の一つに、「人を感動させる仕事」があると思います。それも、直接的に感動させるものです。
例えば俳優や、芸人、芸術家、漫画家、映画監督などです。


これらは技術的にロボットで置き換えられていく可能性も十分にありますが(漫才ができるロボが開発されたり、ボーカロイドなど、すでに一部置き換えが始まっています)、最終的には人でないと感動できない、という理由で残るような気がします。


もう一つは職人の世界です。
人を感動させる職人というのもあると思いますが、
ここで言いたいのは、たとえば金属の精密な加工技術や、外科医にもとめられるような繊細な手技も置き換えられにくいものであると思います。


ですがこの職人の世界も、「人を感動させる」仕事に比べると置き換えられやすいのではないでしょうか。(高度な人工知能アルゴリズムと、精度の高いロボティクス技術があれば可能である気がします)


最後は「倫理的に人間がしたほうがよい」仕事です。
例えば教師などがこれに該当するのではと思います。
(ロボット、ソフトウェアに教育させたほうがよい結果が得られるとしても、教師は残り続ける気がします)


■「権利」を持つ人間が幅を利かせる


ちょっと見方を変えて、人間にしかできないことができる人間以外にも、将来有利な人たちがいます。
それは何等かの権利を持っている人たちです。


人間としての能力とは全く関係なく、何等かの権利を持っていれば、将来は暗くないと思います。
どんなにテクノロジーが進んだとしても、自分の能力が環境に適用できなかったとしても、
強力な「権力」は永続的な優位性をその所有者にもたらすことは容易に想像がつきます。


■人は何のために生きるのか、なぜ働くのか、どう社会はあるべきかを本気で考えなければいけない。


人間にしかできないことが人並み外れてできる人間(英語でいえばgiftedの人たち)、何等かの既得権益を持っている人間のみが栄え、
その他多数の(私も含めた)フツーの人間は、ただ搾取されて、消費するだけの存在、そのようなものが私の考える未来です。
(すでにそうじゃないか!というご指摘もあるかと思います。そのとおりだと思います。いまの技術の進歩はそれを助長する方向にあると思います)

そんな未来は楽しくもなんともない!!
と私は思います。

ですが、ただ反対するだけであれば現代のラッダイト運動です。
そうはなりたくありません。
テクノロジーの良い面だって沢山あると思うのです。


凡人であっても、努力の余地が残されていて、
生まれてきてよかったと、生きていて充実感を感じられる、
テクノロジーがどれだけ進んで、世の中がどれだけ合理化したとしても、
人間が人間らしく生き続けることのできる、輝ける未来を手に入れるためにはどうすればよいのか、
私は考えて行きたいと思います。

目的思考で行こう!〜それは「目的」ですか、それとも「手段」ですか?〜

皆さんこんにちは。fusatonです。


今日は、日々の仕事、生活できっと役に立つ
「目的思考」についてです。


皆さんは、「目的」と「手段」の違いについて、説明できますか?
さらに、「目的」と「目標」の違いについて説明できますか?


ちょっとでもうーん、と思った方はぜひ最後まで読んでみてください。


■「嘆かわしいことに、すべての人は手段だけ考えて、目的を考えない」


これはfusatonの名言です・・・・


はい、ウソです。


かの有名な哲学者、パスカルの言葉です。
(パスカルがわからない方はコチラ
有名な著作は「パンセ」、有名な言葉は「人間は考える葦である」です)


これには続きがあって、


「各人それぞれの職務をいかに果たそうかと考える。しかし、職務の選択については、運命の与えるままに任せている」


パスカルは言っています。


つまり、人生で何かしらの職業についているとき、
与えられた職務をこなすことばかり考えて、
どうしてその職務(職業)を選んだのか、は考えない、
自分が何をしたくて、なにを目的として、その職業を選んだのかは考えていない、という批判です。


昨今は職業については皆さん結構考えているのではないかな、とは思いますが、それでも今でも通用する普遍的な考え方だと思います。


そして、この言葉は、職業の選択のみならず、いわゆる「目的思考」とでも言うべき本質的な思考法をしている人が少ない、ということなのではないか、と考えます。


■「目的思考」とはなにか


目的思考とはなにか。
その前に、「目的」と「手段」とはなにかを定義します。


「目的」とは「最終的に達成したいこと、やりたいこと」
「手段」とは「目的を達成するための方法」


だと思います。
そのうえで、私の考える「目的思考」とは、


なにかをやろうとするとき、その目的はなんなのか、を明確にして、それを達成するためにはどんな手段があるのか網羅的に考える。


ということです。


そして、すでに何かが始まっていて、うまくいかないとき、もやっとしているときに、


やろうとしていることが、手段なのか、目的なのかを明確に認識し、目的を達成するために、どんな手段があるのかを再考する


ということでもあります。


パスカルの言葉は、別の言い方をすると、ほとんどの人は「どうやってやるか」ばかり気にしていて、「なんのためにやるのか」を考えない、ということを言っているのだと思います。


「なんのためにやるのか」を考えること、これは目的思考そのものですし、それに至らない人たちは(私も含めて)現在でもたくさんいると思います。パスカルの言葉は、数百年を経た現在でも通用する指摘なのでは、と思います。


じゃあ、具体的な目的思考の事例を考えてみましょう。


■「経済成長」は目的なのか、手段なのか?


世界中の各国は、「経済成長」を目指して様々な活動を実施しています。


私は、「経済成長」は「手段」だと考えています。
じゃあ、その手段は、どんな「目的」を達成するためにあるのか?


それは「人々が平和に幸福に暮らすこと」だと思います。
「経済成長」は、そのための手段の一つにしか過ぎない、と思うのです。


ですが、「経済成長」を「目的」と考えてしまっている人たちがあまりにも多いのではないでしょうか。


なんとも嘆かわしいことでしょう。パスカルもきっとそういうに違いありません。


さて、次はもう少し近い例で考えてみましょう。


■「お金持ちになること」は「目的」なのか「手段」なのか?


はい、もうさっきの話とおんなじです。
お金持ちになること、それは私は「手段」であると思います。
じゃあなんのための「手段」なのか。


それは「幸せ」になるための、1手段にしかすぎないと思います。
また、お金だけあっても幸せにはなれないことは皆さんよくご存じなのではないでしょうか。


でも昨今のニュースを見る限り、やっぱりお金持ちになること、を目的にしている残念な人たちが多いのではないでしょうか。


なんだか、お金の話ばかりで申し訳ありません。


■「目的」と「目標」の違い、分かりますか?


さて、ここまでで、「目的」と「手段」の違いについて述べてきましたが、次には「目的」と「目標」の違いを少し述べておきます。


「目的」と「目標」という言葉、これらは語感も似ていますし、混同している方も多いのではないでしょうか。


しかし、これは全く異なると思います。


「目的」は最終的に達成すること、
「目標」は「目的」を達成するために目安となる指標の、ある水準または状態


だと思います。


例えば、「東京から大阪まで一番早くつくこと」が目的であるとするのであれば、「目標」は「時間」という指標で示され、「2時間半」や「3時間」といった具体的な数字が設定されます。


目標は、目的をより具体的、定量的にあらわしたものといってよいと思います。


日々の仕事で、なにかを達成しようとしているとき、目標と目的の違いについても考えてみると、より正確な議論や判断ができるようになると思います。


■「目的」、「目標」、「手段」を明確に分けて考えよう!


まずは「目的」と「手段」を明確にすることがとても大事です。
目的が明確になれば、今まで議論していた手段が意味をなさないことに気が付いたり、もっとよい「手段」に気づくことができるようになります。


また「目的」と「目標」を明確に分けて考えることで、
やりたいことを達成するための客観的な指標を手にすることができます。


もし、皆さんの中で「目的」と「手段」、「目標」について考えてみて、困っている方がいらっしゃるようであれば一緒に考えますので、コメントに記載してください。

医療の進歩は寿命を延ばしてはいない

皆さんこんにちは。fusatonです。


今回は、以前書こうと思って挫折した、
医療と寿命の関係についてです。


医療は寿命を延ばしていると、皆さん無意識そう捉えているのではないか、と思うのですが、私はそうは思わないのです。


なぜそのように考えるのか、ということをご説明します。



■「水」がよくなると平均寿命が延びる。
まずこのグラフを見てください。


※安井至さんホームページより引用
http://www.yasuienv.net/HamaSuido.htm



これは横軸が寿命、縦軸が清潔な水の供給の度合いを表していて、
一つ一つのドットが国を表しています。


このグラフからわかるのは、
水が改善されると、寿命が延びている、
という相関関係です。


このグラフは東京大学名誉教授の安井至さんという方が講演で使った資料から抜粋したものです。


また、元国土交通省の竹村公太郎さんは、日本(東京)では大正十年に寿命の伸長が始まっていて、それは当時の東京市長であった後藤新平上水道の塩素による消毒を始めたからである、と指摘しています。


平均寿命の伸長は、乳幼児の死亡率が下がることが一つの要因で、
塩素による水道水の消毒が、その一助となった、と分析されています。


これらのことから、水の改善が、寿命伸長の大きなドライバーである、
と考えてよいのではないでしょうか。



■「感染症」の制圧も寿命伸長に寄与しているのではないか
次にこのグラフを見てください。(図をクリックすると大きく見ることができます)


テルモ 医療の挑戦者たちから引用
http://challengers.terumo.co.jp/challengers/01.html



これは、日本の主な死因別にみた死亡率を経時的にグラフにしたものです。つまり、どんな原因で死んだ人が、ある時期どのくらいいたのかをグラフにしたものです。


このグラフからわかるのは、昔(明治〜昭和初期)は感染症で亡くなる人が多数であったのが、昭和中期ごろからは感染症で亡くなる方は激減し、脳血管疾患(脳内出血など)が主な死因となり、いまは悪性新生物、つまりガンが主な死因である、ということです。


私は、この感染症の制圧が寿命伸長にかなり寄与しているのではないか、
と考えています。


そしてこれは水道の消毒もさることながら、
抗生物質の登場が達成したのではないか、と考えます。


レミングが人類が見つけた最初の抗生物質であるペニシリンを発見したのは1928年で、その後10年ほどで医療の現場に登場しています。
これは感染症の激減の時期とほぼ一致しています。


■人類の寿命伸長は「清潔な水」と「抗生物質」によってもたらされた


つまり、人類の寿命伸長は「清潔な水」と「抗生物質」によってもたらされた、と言えると思うのです。


清潔な水を提供するのは行政、水道局の仕事です。
抗生物質を提供するのは製薬企業・薬局の仕事です。


つまり、寿命の伸長に、病院で提供される、いわゆる「医療」はそれほど寄与していないのではないか、というのが今回言いたかったことです。とくに最近さわがれているような先端医療も、全く寄与していないと思います。(癌や生活習慣病は克服できていないので)

水道局の方や、薬局の方々、また行政の方々は(医師のように)もっと尊敬されていいのではないか、と思いました。


いつも清潔な水を、安全な薬をありがとう!


以上、終わります。

「Google Tasks」でクラウドタスク・ToDo管理!!〜シンプル&強力なタスク管理のご紹介〜

皆さんこんにちは。fusatonです。


今回は、いつもと趣向を変えて、
皆さんのお仕事に明日から役に立つ(かもしれない)
私が実践しているクラウドタスク管理のツールと方法のご紹介です。


■"google tasks"でクラウドタスク管理


google tasksというサービスをご存じでしょうか。
これはgoogleが提供しているもので、googleカレンダーに組み込まれているミニアプリです。
googleのサービスなのでどの端末からも確認することができます。


さらに、Android用の専用のブラウジングアプリも出ていて、
モバイル端末からも簡単にタスク管理ができます。


今回はこのgoogle tasksの上手な使い方をお教えします。


■デスクトップで、googleタスクを使いやすい形で表示する(Windows限定)。


googleのサービスと聞くと、ふつうはブラウザで表示・操作することをイメージされると思います。
ですがブラウザでは見にくかったり、操作しずらかったり、といった問題があります。


google taskはwindowsのタスクバーに常駐させて、まるで一つのネイティブアプリケーションのように表示できます。
イメージはこんな感じです。


このようにするための設定は、以下ページを参照してみてください。


超便利!Googleカレンダー付属のGoogleタスクを独立したアプリっぽく使う方法(Windows限定)
http://nanapi.jp/38600/


このアプリのいいところは、シンプルな形でリスト表示できるのと同時に、
表示順序を簡単に入れ替えできるところです。
(このイメージの例だと、例えば「ゴミ出し」と「銀行15:00」の順序をドラッグアンドドロップで入れ替えることができます。)



この機能があるアプリはありそうで、案外ありません。
この機能があるおかげで、自在に優先度の変更ができ、
とても使いやすいです。



Android端末の専用アプリケーションで、簡単にタスク管理


さらに、これはクラウドで提供されているので、どんな端末からも確認できます。
基本はブラウザからの確認だとおもうのですが、先ほど述べたように、ブラウザのままでは使いにくいです。


andoroidなど携帯端末では画面が小さいので、より使いずらい状況になってしまいます。
そこでご紹介したいのが「Tasks Free」です。


Tasks Freehttps://play.google.com/store/apps/details?id=ch.teamtasks.tasks&hl=ja


これを使うと以下のようなイメージでタスク管理ができます!



*google アプリストアの「Tasks Free」ページから転載


これもとても見やすく、かつ使いやすく、
おすすめのアプリの一つです。


オフィスを出た後、ぼーっと歩いていると、
あ、こんな仕事やらなければいけない!
とかよく気づくことが多いのですが(笑)そんな時にとても威力を発揮します。



■fusaton流 tips :何曜日にどの仕事をやるかをリスト管理する。


私は日々のタスクをこのgoogle tasksで管理しているのですが、
私は「曜日別」にタスクをまとめる、ということをしています。


イメージはこんな感じです。


つまり、月〜金のどの曜日に、どの仕事をやるかをリストで表現します。
そして、随時ここに追加すべきタスクはないか、優先度は間違っていないかの見直しを行っています。
こうすることで、5日先のタスクまで見通すことができています。


1週間以上のタスクを管理することもできるとは思うのですが、
そうすると後でやるものがどんどんつみあがってしまう気がするので、
あえて「1週間」にしています。


この方法、単純なようですが、かなり強力です。
タスク実施の抜け漏れや遅れをかなり抑制できます。


そして、1日のタスクが可視化されていて、
それをやり遂げることで達成感を得ることができ、
精神衛生上もとても良いです。かつ実際に仕事が進みます。


皆さんもぜひお試しください!
そして、こんな使い方をしている、などあればぜひ教えてください!
では、また。

iPS細胞は人類を幸せにするのか

みなさんこんにちは。fusatonです。
壮大なテーマに挑み続けている本ブログですが(笑)、
今回も大き目のテーマです。


iPS細胞、このブログを訪問いただいている方々はもうご存知だと思います。
いまはまだ開発途上ですが、様々な疾病を癒すことのできる万能テクノロジーとして期待がかかっています。


さて、このiPS細胞、病を治すことはできるかもしれませんが、
人を幸せにするのだろうか、とふと思ったので、今回考察します。



■iPS細胞とはなにか


iPS細胞とはなにか。一応あげておきます。
iPSとは、induced pluripotent stem cellの略で、
日本語でいうと「人工多能性幹細胞」です。


細胞というものは、一度分化(受精卵のときに何にでもなれる可能性がある細胞が、分裂を進めるうちに皮膚や筋肉の細胞のように役割が固まってしまうこと)してしまうと、もう他のものにはなれない、という性質があります。


皮膚も細胞からなっていますが、突然皮膚が筋肉になったり、心臓になったりはしません。


ですが、iPS細胞は、分化してしまった細胞を、受精直後の細胞のように、何にでもなれるような状態に細胞の状態を戻してしまう、というまことに不思議な現象です。


これを利用して、特に再生医療の分野や、創薬・製薬分野での応用が期待されています。




■iPS細胞の主な用途

再生医療の分野では、たとえば何等かの問題が生じて機能しなくなってしまった臓器、肺、心臓などをiPS細胞を使って「再生」して、臓器移植をする、というようなことが考えられています。


創薬分野では、たとえばある種類の細胞における薬の反応性をみたり、一人ひとりの体質にあった薬を見極めるために、患者さんの細胞をiPS化して、それを目的の細胞に分化させ、そこに薬を与えて様子を観察する、といったことが考えられています。


このように、iPS細胞は、現在の技術では解決の難しい疾病を克服するための強力な手段となる可能性を秘めています。


■iPSはQOLの向上に寄与する


このように将来有望なiPS細胞ですが、果たしてこの細胞は人類を幸せにするのでしょうか?
私は、iPSは人のQOL、クオリティオブライフの向上にとても寄与すると思っています。


事故や病気で体の臓器、器官が不自由になってしまった場合、
生活が大変になるのに加えて、医療のランニングコストがとても高くなってしまいます。


ですがiPS細胞の技術が確立され、コストが下がって、保険も適用できるようになれば、一時の費用負担で済みます。
そして生活の質は向上します。
その意味で、iPS細胞はとても有望だと思います。


■iPS細胞は寿命を延ばすのか?

では人類の夢の一つである寿命の伸長に、iPS細胞はどれくらい寄与するのでしょうか。
人間の細胞の寿命は長くても120年ぐらいと言われています。
iPS化細胞から作った臓器も、結局はこの呪縛からは逃れられません。
(細胞老化を食い止める技術が開発されればまた話は別ですが)


iPSを使って寿命を延ばす方法の一つは、臓器の置き換えを定期的にしていく、という方法です。
ちょっと気持ち悪いですが、心臓や肺など、老化が進んで来たら、iPS細胞から構築した新しいものに置き換えていくのです。すべての臓器でこの置き換えが可能で、古いものと新しいものに何等かの拒絶反応のようなものが出なければ、永遠にこの方法で生きていくことが可能でしょう。


ただ、「すべての臓器」といいましたが、それには「脳」も含まれます。
脳は人間の意識、記憶をつかさどる臓器です。
これをハードウェア的には構築できるかもしれませんが、古い「脳」から新しい「脳」に記憶を移すことができるのか、そもそも「意識」がなんなのかわかっていないのですが、その「意識」とやらを新しい「脳」に移せるのか。それができたとして、前の自分と連続性を保てるのか。
やってみなければわからないですが、倫理的、哲学的な問題も考えていかなければならないでしょう。


仮にそれさえもできるのであれば、iPS細胞は寿命を伸長することができる、と言えるでしょう。


ただ、このようにして長生きした人間が幸せを感じるかどうかは、私には疑問に思えます。以前にも述べましたが、寿命の伸長は新しいヒトが生まれてくることを阻害すると思うのです。
ある年代に生まれた人間ばかりになってしまうと思うとちょっとゾッとします。


ですので、iPSは寿命の伸長に寄与する可能性はありますが、
このことで人類は幸せにはなれないのではないか、というのが私の考えです。


iPS細胞は人類のQOLの向上に寄与し、その一点においてiPSは人類を幸福にするのだと思います。

日本の優秀な人材はどこにいるのか(独断と偏見編)

皆さんこんにちは。fusatonです。


今日は、優秀な人材をテーマにお話しします。
日本の将来を支えるのは、やはり人材なのだとおもうのですが、
彼らが今どこにいるのか、なにを目指しているのかが、
日本の、そして世界の命運を分けることになると思うのです。


そこで、日本の優秀な人材はいまどこにいて、
どんな人たちなのかを、私のイメージでお話します。



■「優秀な人材」とはどんな人たちか


優秀な人とは、どんな人か。
私の定義では、困難を乗り越えて、成果を生み出すことができる人、です。


あえてエリート、とは書きませんでした。
エリートというのは、社会的地位を意識する言葉です。
たとえば、医者、官僚、大企業の幹部人材などです。
もちろん、このようなエリートにも「優秀な人」はたくさんいますが、
「優秀ではない人」もたくさんいるように思っています。


世の中を変えていく、支えていくのはやはり「優秀な人」だと思います。
ですので、ここではエリートという言葉は使いません。


また、裏を返せば社会的な地位が(今は)なくても、優秀な方はたくさんいらっしゃいます。逆に言えば、彼らは困難であっても沢山の人に影響を与えるような大きな仕事はしていない可能性が高く、これからの活用が見込まれる人たちであるとおもっています。



■優秀な人はどこにいるのか
優秀な人がどこにいるか、を考えるにあたって、彼らがどんなことを志向しているかを考えるのがよいと思います。


私は勝手に、優秀な人は以下のいずれかの分類に分けられるのでは、
と思っています。


① とにかく「安定的で高水準の生活」を将来にわたって維持したい


② とにかく「お金」を稼ぎたい


③ とにかく「目立ちたい」


④ とにかく「世の中の役に立ちたい」


⑤ とにかく「極めたい」


ここで、①〜⑤のような人がどんなところにいるかを考えてみます。



①は医師や官僚、大企業の幹部など、いわゆるエスタブリッシュメントの人たちだと思います。


②はファンドに勤務している人たちや投資家、ギャンブラーなどでしょうか。


③は芸能界の人たちや、一部の起業家なども含まれるかもしれません


④はNPOや海外ボランティアなどに積極的に参加する人たちや、アカデミック、教育機関医療機関等の人たちでしょう


⑤はアスリート、日本の伝統芸能や伝統技能、町工場の人たちに多いのではと思います。


実際は①と④の混合タイプとか、②と③の混合タイプとかもいそうですが、この5つのどれかが1つ必ずつよい、という傾向にあるのでは、と思います。


これからの社会を変える人材はどんな人たちか。
それは③〜⑤のいずれかを持っている人たちなのではないでしょうか。


③は意外かもしれませんが、目立ちたいのはおそらく手段であって、
その向こうに②があるのか、④があるのかわかりませんが、目立ったことで、見てくれる人になにか感じさせることで、結局④にいったり、②に行ったりするような気がします。


ただ、②の人は、本当に自分がやりたいことを見極めていない人だと思います。
お金は「手段」であって、「目的」ではないからです。
よって、②の人は、お金を稼ぐという意味では優秀ですが、
そこどまりの2流の人たちだと思います。(独断と偏見ですいません)


④の人たちは、目的がまさに社会を変える、新しいものを生み出す人たちなので言わずもがなです。


⑤の人たちは、自分を満足させるためでもありますが、
そのことがみんなのタメにもなるような成果を生み出すのではないかと思うのです。


なお、①の人たちは、社会を「維持」していくことにはものすごく長けていますが、「変えていく」、「新しいものを生み出す」ことはあまり得意ではないのではないか、と思っています。
私から言わせれば、お医者さんは、社会を戦場に例えれば後方支援であり、ビジネスでいえばバックオフィスです。
もちろん、これらがしっかりしていないと、戦うことはできませんが、
決して主役ではありえないポジションです。


■優秀な人材を生み出す教育とは

最後に、社会を変える、あたらしいものを生み出すために、
ニッポンの教育は、どんな人材を育てていけばよいのか。


いままで、日本の教育は①を生み出すことを最上としてきました。
もちろん、これからも①を生み出すことは大事ですが、
それに加えて、③、④、⑤の人たちを継続的に生み出していくことが重要だと思います。


そしてそれは今の偏差値教育ではうまくそのような人たちは育てていくことは難しいのでは、と思っています。


じゃあどうすればよいのか?
具体案は今はありませんが、いずれまた述べたいと思います。


なお、蛇足ですが、②の人も重要ですが、②の人は①、③、④、⑤の人の為に働くと思ってください(笑)



それはまた今度。

日本の文系は、世界に存在感を示せているのか?

皆さんこんにちは。fusatonです。
最近は、単発的なテーマを展開しまくりで、一貫性がなくでごめんなさい。


いずれ一つのテーマで連続5回とかで書いてみようと思っているのですが、
それはまた今度。


今日のテーマは「文系」です。


日本の文系の方々は、個人的には優秀だと思うのですが、
世界の、とくにアカデミックな場面においてはあまり存在感がないのではないか、と思っています。


じゃあほんとにそうなのか、
なぜそうなのか、を今回も独断と偏見で論じてみたいと思います。


■理系と比べて、世界に存在感のないニッポンの文系と、こんなことを言うと怒ってしまう方もいるかもしれませんので、
客観的なデータを一つ。


英紙Timesによる大学世界ランキング「The Times Higher Education Supplement(THES)」(2013-2014)における上位100位以内の日本の大学の順位


■文系分野


【人文科学】
100位以内に日本の大学なし


【社会科学】
東京大学 60位
(それ以外はランキングに日本の大学はなし)


■理系分野


【物理学】
東京大学 16位
京都大学 36位
東京工業大学 83位


生命科学
東京大学 27位
京都大学 32位
大阪大学 41位



うーん、それぞれの分野のなかで、傾向としてはやはり
日本は理系分野が強い、ということができるのではないでしょうか。


■日本の文系は「文明の配電盤」をいまだにつづけているのではないか

ではなぜ、日本の大学の、文系分野はこんなにもランキングが低いのか。
まずは、日本の大学は英語圏には無いから、ということがあるのではないでしょうか。


このランキングを作っているのは、英語圏の人たちです。
そして、単に語学の問題だけではなく、価値観のようなものが「評価する側」と「評価される側」で異なっているために、日本人の考え方がうまく伝わらず、このような結果になっているのではないでしょうか。


また、日本の特に文系の学問の始まりは、欧米の学問を「輸入」することから始まっていますが、
それをいまだにひきずっていることもまた原因の一つなのではないでしょうか。

東京大学をはじめ、明治期の大学はいわゆる「文明の配電盤」と言われ、
欧米の最先端の知を分け与える場所であり、そのことに最大の価値がありました。


ですが、そのような場所は、インターネットや、膨大なアーカイブが豊富である現在ではほとんど意味をなしません。
であるのにも関わらず、文系の大学は「文明の配電盤」を続けているのではないか?
そのような仮説を私は持っています。


つまり、欧米の学説を理解することこそが、もっとも重要である、
という姿勢というか価値観がこの21世紀になっても、明治期のまま延々と続いているのではないか、
そう思うのです。


■「文明の配電盤」から「文明の発電所」へ
ではどうすればよいのか?
個人的な持論にすぎませんが、これからは新しい考え方、世界の見方、価値判断基準を世界に示していくことが
求められているのではないでしょうか。


日本は、江戸期から詳細な歴史記録が残っている世界にもまれな国です。
過去、現在の日本人の考え方をまとめ、世界に広めていくこと、これだけで立派な仕事ですし、
世界の様々な課題解決のヒントを提示できるのはないか、そう思います。


その意味で、日本は「文明の発電所」になってほしいと思います。


その意味で、「武士道」を記した新渡戸稲造博士を超える、
世界に日本の価値観を伝えることができる学者はいないのではないでしょうか?


もっとも、新渡戸先生も理系文系の区分けをするのであれば理系の人間です。
ただ、この際理系文系はあまり関係ないのかな、とも思います。


どんなバックボーンでもいい、日本の考え方、価値観を世界に広めることが、
日本のアカデミックの、そして日本自体の存在感を示すことにつながるのではないでしょうか。



■なぜニッポンの文系が世界に存在感を示さなければいけないのか?
最後になってしまいましたが、「なぜニッポンの文系が世界に存在感をしめさなくてはいけないのか」、これについても述べたいと思います。


なぜ、存在感を示すべきなのか、その答えは「世界に貢献するため」、と同時に「日本をよい国にするため」です。


繰り返しになりますが、日本では当たり前のことを世界に示すことが、世界の為にもなり、そのことで日本も一目置かれ、日本にとってもよいことがたくさんあるのではないかと思うのです。


その意味で、私も微力ながらもそのようなことをしていきたいと考えています。


以上、終わります。