長寿は国を滅ぼすか?
ずーっと環境問題のことばかり書いてきましたが、他にもいろいろ考えたいことがあります。
今回考えたいのは「寿命の伸張が国に与える影響」です。
寿命が長いということは、一般的にはいいこととされています。
人生は短いよりは長いほうがよい、そんな気もします。
ですが、長寿化は環境や経済にどのような影響があるのでしょうか。
私は環境や経済といった観点から、寿命が延びることは日本にどのような影響を及ぼすのか、ということを考えてみました。
■長寿は環境に悪影響を与えるか?
まず、環境(資源、エネルギー)に高齢化がどのような影響を及ぼすのか、について考えてみました。
単純なモデルを考えます。
ある人が60才で亡くなる場合と、90才で亡くなる場合で、その人が消費する資源、エネルギーを比べると、
明らかに90才まで生きたほうが、30年分多くの資源、エネルギーを消費するでしょう。
そして、長生きする人が多くなっている(平均寿命が延びている)現状では、資源、エネルギーの消費量がどんどん多くなっていきます。(省エネルギー化を進めたとしても、生きている限り消費する資源、エネルギーはゼロにはならないので、必ず増えます)
つまり長寿化は環境に負荷を与える、と言えるのではないでしょうか。
そして日本は資源に乏しい国です。
その国が資源を求めるためには、お金が必要です。しかしその資源を得るためのお金も長寿化によって少なくなってしまうのではないか、そう思います。詳しくは次の次の項で述べます。
■長寿は経済(GDP成長)にどのような影響を与えるか?
次は経済への影響です。
もし長寿化が起こっても「少子化」がおこらず、労働人口が維持されれば、GDPを生み出すことができますので、経済(GDPの成長)には影響を与えないように思います。
むしろサービスや商品の買い手として、社会にお金を供給してくれる立場の人たちとなる可能性があります。
(介護など老年期に必要なサービスの消費者として)
■最終的には、長寿はGDP減の原因になる・・・?
上記のように考えると、経済的には寿命が延びてくれたほうがよいように思います。
ですが、長寿が環境に与えるマイナスの影響、それによって引き起こされうる"少子化"という現象をとおして、結局GDPを下げてしまうのではないか、と思います。
そのロジックは以下です。
長寿は環境を消費する。長寿の人間たちは自分たちがより長く生きるために資源を確保しようとする→自分たちの資源を確保するために、新しく生まれてくる人間の数を減らす必要がある→少子化になる→少子高齢化によって労働人口が減少する→GDP成長率が鈍化する。もしくはマイナスになる。
皆さんもご存知のとおり、少子化は実際におきています。その原因は、高齢化ではないとされているようです。
上記でのべたのはそれとは別で、高齢化そのものが少子化を加速し、その結果、労働人口の現象を引き起こすのではないか、という仮説です。
そして先ほど申し上げた、資源についても、資源を買うためのお金もなくなってしまい、国の経済、その他もろもろの仕組みが瓦解していくのではないかと思います。
■じゃあどうすればよいのか?
もし、長寿→資源消費増→少子化→労働人口減→GDP減の流れがもし本当だとすれば、日本は長寿によって環境を荒らしつつ、GDPが小さくなっていく、というあまりよろしくない状況になってしまいます。
上記の問題の根本原因は"長寿化"です。
じゃあ長寿化をやめればよいのか?
おそらくその考えの先には「姥捨て山」がまっています。
それは老年の人たちにとってももちろんよいことではないし、若い人たちにとっても生きる希望がなくなってしまうことになります。
ですが、私は、長寿化には限界がある、そういう考えが必要だと思います。
上手に枯れて、死んでいく。そのようなモデルが必要なのだと思います。
寿命には環境上の制約、経済的な制約が存在している、それを無理に逸脱することはできない。
その上前提の上で死を受け入れるのが一番コストがかからない、自然な流れだと思います。
生物学的な制約は、いつか科学の力で、ガンが克服され、臓器移植も当たり前になり、いつか平均寿命が100才を超え、その先には永遠の命があるのかもしれません。
しかしそれらは環境の制約、経済の制約という複雑なシステムの中で生きている人間、という視点をあまりにも欠いていると思うのです。
資源の問題、エネルギーの問題、経済の問題、これらはすべて「人」に密接に結びついているシステムです。
その中で人が長寿を求めると、システムにどのような影響を与えるのか、システムはどこまで人を支えられるのか。
そういった視点が重要だと思うのです。
日本の話に戻すと、長寿化を推し進めるのはここらあたりでやめておいたほうがよいのではないか、そう思うのです。
そしてそれはGDP減を防ぐためというよりは、環境への負荷を下げる、子供の数を増やすためにそのような判断が必要だと思います。
■なにが一番大事なのか
人間を支える側の環境や経済のシステムさえも科学の力で改変し、一人の人間が永遠の命を手に入れることができる、そのように考える方もいるかもしれません。
生命は、一つの個体が生き続けることではなく、子供を残す、というやり方で次世代に命をつないでいます。
これは生命が生み出した、低コストで変化に適応しつつ次代へ命をつなぐための様式、アイデアだと考えています。
生命が数十億年かけて生み出したそのアイデアを、われわれは超えることができるのか。
資源、エネルギーそのほかさまざまな困難を乗り越えて命を続けてきたこの仕組みを超えることができるのか。
私には到底できるとは思いません。
せいぜい到達する手前でエネルギー、資源が尽きてゲームオーバー、そんな気がします。
そんな人間の浅知恵で制約を無理やり超える必要はないと思うのです。
なぜならば、地球が与えてくれる資源、エネルギーの制約の中で生命をつなぐための、子供を残すという方法をすでに持っているからです。
自然のやり方は、資源、エネルギー、コストの面でものすごくよく考えられているのだと思います。
■人口のあるべき姿とは
少し話が大きくなりました。
日本に視点を戻します。日本はどのように長寿と向き合えばよいのか。人口はどうあればよいのか。
少子化、高齢化とともにもう一つ考えなくてはいけないのは人口減です。
これは高齢化のため、亡くなる人数が出生数を大きく上回るために起こっており、今後も続くと予想されます。
これを前提に考えると、私は平均寿命はせいぜい90才前後とし、人口を減らしつつ、子供の数は増やし、労働人口をある程度確保できるよう人口のピラミッドを是正し、環境、経済の各システムの中でうまく生きていける国を目指すべきだと思います。
平均寿命を延ばさなくするのは、現状を維持すればよいだけなので難しいことではありません。(つまり寿命をのばすことに寄与するような新しい研究開発などは必要ない、といっています・・・)
子供の数を増やすのは難しい気がします。これは若い人たちの意識を変えること、社会的支援等さまざまな角度から国がバックアップしていくことが、必要だろうと思います。
そして大事なのは、これを実現するために、数十年単位で、すくなくとも30年は国が責任を持って一貫した政策を立案・実行していくことです。
■長寿は国を滅ぼすか・・・?
最後になりましたが。この問いに対して、私は"YES"だと思います。
行き過ぎた長寿は環境をあらし、子供を減らし、経済を疲弊させ、ついには国を滅ばす、そして人類の存続を脅かす、そういうことなのだと思います。
ここまで読んでいただいた方はどのようにお考えでしょうか。